昭和を代表する大ヒット曲です。
たまたま、何回か耳にする機会がありまして。気まぐれにちょっと調べてみました。
日本語版の歌詞はコチラ
コチラ。
そんで、原曲は「僕が欲しかったのは黒い猫」という題名で訳詞は
コチライタリア語がまったくわからないこともありますが、なんか変な歌詞。
この曲の主人公の男の子は、アリゲーターやらキリンやらアフリカ象を持っている。フィギュアじゃなくて本物らしい。それをみんな君にあげる。代わりに黒い猫をくれるはずだったのに、君のくれたのは白い猫。もう絶好だ! と怒っている。
イタリアってとこは、個人の家でアリゲーターやキリンやら、アフリカ象を飼っているのかい? 飼っていたとして、全部あげても欲しいほど黒猫は貴重なのかい?しかもその「君」は男の子で、そんな不釣り合いな交換は、男同士の約束らしい。どう解釈すればいいの?
リンク先の記事には、「貢ぐ男」「貢ぐ女」の話が書いてあるが、わたしにはよく理解できない。黒猫がなんらかのメタファーなんだろうけど、それって何?イタリア人って不可解。たったひとつの童謡で極端だな>自分。
日本の歌詞はリンク先を読んでいただけばわかるとおり、非常に判りやすい。黒猫は当然、女性を模している。猫ってのは、雄だろうと雌だろうと、常に女の役割。飼い主は男でも女でも必然的に男の役割を担うことになる。飼い主は、犬に関しては「いかに自分に忠実か」を自慢したがるが、猫に関しては「いかにワガママか」を自慢したがる。恋人のワガママを自慢げに語る大人は、バカに見えるが、猫のワガママを嬉しそうに語る大人はやけに可愛くうらやましい。あ、また猫の下僕になりたいらしい。
って、話の主題は猫ではない。この不可解なイタリアの少年の訴えるとこを、誰かわたしに教えてくれ。
テーマ : 音楽的ひとりごと
ジャンル : 音楽